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蒼天高く翔けらんと › 2014年05月07日

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2014年05月07日

震災の跡

このGWは東北に行ってました。そして被災地を見て回りました。
本当はもっと早く来たかったのですが、被災地を見て回るようなことが
許されるのかという葛藤があり、3年が過ぎてました。
観光に来て現状を知って被災地に金を落とすのも支援のひとつ、といろいろな
HPには書かれていましたが、どうにも決心がつきませんでした。
でもそろそろ見ておかなければダメじゃ無いのかという気持ちの方が強くなり
この度、行くことにしました。

今回は仙台市若林区~陸前高田市まで、すべてでは無いですが太平側を走りました。
とにかくまだまだ復興中です。だいぶキレイになりましたが、まだまだ完全復活では
ありません。凄い数の工事用車両と狭い地区に分散して建てられている多くの
仮設住宅がそれを物語っていました。

<仙台市若林区>


まず津波にやられた広さに驚きました。
頭ではわかっていながら目の前にするとやはりその被災した広さに唖然としました。
復興工事は絶え間なく進んでいますが、あまりにも広すぎてそれでも追いつかない
という感じがしました。まだ撤去していない被災した家屋、倒れたままの墓地も
残されたままでした。

<石巻市>


石巻市も広い範囲がやられています。
ただし海側の広大な土地は工場等が立ち並び、大きく区画整理されており
比較的復興が進んでいるように感じました。山側の土地ではまだ新しい家屋が
多く立ち並んでいました。被災した方たちの新居なんでしょうか。
山際まで被災した跡が生々しく残っていました。

<女川町>



女川町は町の東側が大きく被害を受けたようです。
女川町は仙台市若林区や石巻市とは異なり狭い沢型地形に津波が遡上してきて
被害に遭った地域です。ここから北側はそのような地域が多くなります。
横倒しになった建物がまだ残っています。これは残すのでしょうか。
海岸線近くまで山が迫っていました。かなり津波が高い位置まで来たことが
想像できます。
震災後1年ではまだすごい震災がれきを映像で見ましたが、震災がれきはほとんど
無くなっていました。

<石巻市北上川河口付近>




大川小学校です。全校児童108人中死者64人、行方不明10人の犠牲者が 出ました。
学校は被災したまま残されています。校舎脇には慰霊碑が建ちます。
この裏山を登ればなあと悔やまれます。一番下の写真では立木が津波によって
削られているのがわかります。高さにして法面2段ほど。
裏山を法面2段分登れれば助かったのにと残念でなりません。
河口から5kmの位置にある大川小学校。まさかここまで津波が来るというのは
石巻市の基本計画では想定していなかったようです。難しいです。

<南三陸町>





南三陸町も女川町同様、海に面した狭い地域です。
ここは南三陸町防災対策庁舎があったところです。現在は骨組みが残されて
います。防災対策庁舎を見ると15m以上の高さの津波が来たことが実感できます。
周囲の建物は土台だけ残ります。隣の建物には3段の階段が残っていました。
ホテルも今は使われていません。津波にやられたスタンドも残ります。
ここでもトラックがひっきりなしです。休みも関係ありません。

<気仙沼市>




気仙沼市では小泉大橋の落橋した様子が認められました。
街中は基礎のみ残された範囲が多く、また1階部分を津波でやられた建物が
多くありました。男山酒造は1階部分が無くなり、2階から上が落ちてきたようです。
もともとは2階建てであったそうです。

<陸前高田市>




陸前高田市に入ると大平原が広がっていました。
もう何も無いです。夕暮れの中、重機が走っています。
所々に流木が積み上げられていました。まだまだ処理するものは残ります。
ここでは被災した公営住宅がありました。4階部分までは窓ガラスが無くなって
いますが、5階の窓はキレイに残っています。4階まで津波が来たことがわかります。

今回の旅は主に宮城県内の太平洋沿いを走りました。岩手県側を見れなかった
ことが残念です。
GWでもトラック、重機は一日も早い復興のために多くが稼働していました。
また仮設住宅は町の山の上や町と町の間のちょっとでもある平坦地にところ
狭しと多く建てられていることがわかりました。それだけ被災した人が多く
それだけ被災した面積が広すぎて仮設住宅を建てる場所を苦心して選定して
いることがわかります。でもまだ仮設住宅は出ることはなかなか難しいと思います。
というのは復興がまだ完全では無いというかまだまだです。
現地ではBRTも稼働しており、主要道は復活していて活気は戻ってきていますが
被災地に入ると雰囲気ががらっと変わります。まだまだ復興事業は続きます。
今回被災地を見ていろいろ感じましたが、特に思ったのは現状の景色は片付け
られた、だいぶ整理された景色だということを忘れてはならないということです。
現地に立つと正直、ショックを受けますが、当時はそのようなレベルではありません。
被災当時の写真等を見るとそれを痛感します。そのときに比べればだいぶきれいに
なりましたが、まだきれいになっただけで、生活が今まで通りできるようになった
わけではありません。
一日も早く復興が進むことを望みます。被災した皆さんが早く元の生活に戻れる
ことを願います。本当に頑張ってほしい。そして皆で今後も支えていくことが大事
だと考えます。  


Posted by KOB at 00:29Comments(0)りょこう