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蒼天高く翔けらんと › 2015年09月27日

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2015年09月27日

松代観光

さて、先週はシルバーウイークでしたね。
土曜日に出張に行って、実質19日の日曜日から22日の火曜日まで3日間
休むことができました。ゆっくりできました。
19日未明にはやっとこさ安保法案も参議院で可決されまして、いやあ長かった。
気分も晴れ晴れしまして、日曜日には長野に来て5年にもなるにかかわらず
ちゃんと行っていない松代に行ってきました。松代観光。近場です。
まず真田邸。
江戸時代末期(元治元年=1864年)に、松代藩9代藩主 真田幸教が当初
義母お貞の方(貞松院)の住居として建築し、やがて隠居した幸教の住居となり、
明治以降は、真田家の私宅となったようです。
お庭とか綺麗。


ご主人様のトイレ


そんでそのあと旧樋口家住宅へ。
上級武士が多く住む武家屋敷町にある樋口家住宅。樋口家はその中でも
中心的な位置にあり、藩の目付役なども務めた家柄だそうです。武士の家ですね。


玄関に甲冑があります。畳に寝転がりたいのを我慢する。


で、文武学校。ここ来てみたかった。良くテレビに出るんだけど、すごく広く見える。
でも実際はそんなに広くはなかった。ちょっとがっかり。
文武を奨励した松代藩八代藩主・幸貫が水戸の弘道館にならって計画し、
九代幸教の時代に完成した松代藩の藩校だそうです。
藩士の子弟が学問と武道を学ぶ場として、1855(安政2)年に開校しました。
文学所、剣術所、柔術所、弓術所、槍術所などが配置されています。

この部屋で授業が行われたそうです。

剣術所です。

柔術所です。畳じゃないんですね。板張りです。これは痛そう。天井の梁がすごい。


その後は象山神社神社に行ってきました。佐久間象山先生をお祀りしております。
「しょうざん」ではなく、「ぞうざん」だそうです。お間違えなく。


御朱印です。

社務所には佐久間象山先生の肖像画がいっぱいあったのですが、こうしてみると
「八重の桜」の奥田瑛二はそっくりですね。あたり役でしたね。

さて、神社の後は今回一番来てみたかった松代大本営地下壕です。
松代大本営跡は、大東亜戦争末期、日本の政府中枢機能移転のために松代の山中、
象山、舞鶴山、皆神山の3箇所に掘られた地下坑道跡です。このうち現在、象山地下壕
(ぞうざんちかごう)が一般公開されてます。詳しいことはネットで調べてください。
簡単に言うと大東亜戦争時、海岸沿いの東京は防衛機能が弱いと考えられており、
本土決戦を想定し海岸から離れた場所への中枢機能移転計画を進めていたようです。
1944年7月のサイパン陥落後、本土爆撃と本土決戦が現実の問題となり、同年同月
東條内閣最後の閣議で、かねてから調査されていた長野松代への皇居、大本営、
その他重要政府機関の移転のための施設工事が了承されたそうです。


結構すごいです。かなりの距離掘ったみたいですねえ。総延長は象山地下壕で
10km程度、今回歩くことができたのはそのうち500mです。
中はかなり広く、やばいところはH鋼の支保工がなされています。

この地下壕、そばに駐車場はなく、となりにある「もうひとつの歴史館・松代」
というところに1人200円払って説明聞くと車停めても良いらしい。ということで
200円払い説明を聞いた。が、思いっきり自虐史観のかたまりで、朝鮮人7000人以上の
強制連行、昼夜2交代制の過酷な労働、食事はコーリャン七分、米三分の粗末なもの、
朝鮮人の若い女性が強制的に連れられてきて慰安所に入れられたとか。
もう聞いてて本当に気分が悪い。
何年か前、長野市が展示から「強制」というのに根拠がないんで「強制」という文字を
消そうとしたら市民団体が文句を言ってきたのでしょうがないから「必ずしも全てが
強制的ではなかったなどさまざまな見解がある」にしたそうだがそれでも文句が出てる
そうだ。もうどう考えても大嘘つきで、鉱山知ってる人から見れば、掘削というのは
落盤があるとそれはそれは落盤後の処理って本当に大変で、ど素人にやれるもの
ではなく、そのため職人が地質状況や湧水や破砕部などを観察しながら掘っていくのが
当たり前でかなりきっちりした組織体系と職業意識がないと無理で、だから高給取り
でもあったし強制連行で作業をさせるにはかなり高圧な上からの締め付けと暴動が
発生した場合の対応できる大人数の監督員が必要であるが、戦争末期にそんな人員を
割けるとも思えず、当時日本人だった朝鮮人が高給にあこがれて人夫として参加していた
というところがおそらく真相だと思う。軍艦島も一緒。

大本営跡はすごかったけど、最後気分が悪くてちょっとがっかりでした。  


Posted by KOB at 11:53Comments(4)りょこう